2019年3月11日月曜日

あれから8年(平成31年3月11日)

 一昨日のブログ(なぜ、味舌という地名なのか)の答えを早くもいただきました。ネットで調べると出ているとのことでしたが、内容の概要は次のとおりです。「千里丘にある金剛院を創建の時、行基(ぎょうき→奈良の大仏(東大寺)建立時の実質的な責任者と云われている僧)が放光山味舌寺と名付けたことに由来するという説。この地域でおいしい米が穫れることから「美田(うました)」が変化して「(味舌)ました」になったという説。この二つの説が「ました」とこの地が呼ばれるようになった由来の主なもの。」はたして真説は?
 
 さて、今日は3月11日、東日本大震災発生から8年の歳月が流れました。平成23年の今日、午後2時46分、私は当時摂津市教育委員会事務局に勤務し、市議会の文教常任委員会に出席し、いただいた質問に対する答弁を考え、メモを書いている途中でした。文字がぐるぐる回るような感覚を覚え、「疲れているのかなあ?」などと思っていたら、「地震だ!揺れている!」そんな声が聞こえました。委員会は暫時休憩が告げられ、その日はそのまま終了となりました。その後、テレビで伝えられる大津波の様子に言葉を失ったのは私だけではありませんでした。その日は金曜日。土曜日も日曜日もずっとテレビのニュースを見ていました。

 9か月後、岩手県釜石市へ向かいました。片田教授の津波避難の三原則を実践し、学校管理下では小中学生の死者ゼロの釜石市の小学校1校、中学校1校を訪れ、校長先生や教頭先生から話を伺いました。「釜石の奇跡とは呼ばないで欲しい。5名の児童生徒が亡くなっているのですから。」「日頃からの心を育てる教育が生きた。子どもたちは自分の命、まわりの命を大切にした。」「最後に頼るべきところは地域。日頃から地域の方々といかに訓練を行うか。」また、中学生はこう言っていました。「私たちは当たり前のことを日頃から一生懸命やってきました。」

 あらためて犠牲になられた方々のご冥福をお祈りするとともに、児童が自分の命を守れる行動をとることができるよう、日頃の教育活動を考えていきたいと今日強く思っています。災害は、特に地震は、突然やって来ます。そして、やったことのないこと、考えたこともないことは急にはできません。釜石市でも、当時の児童生徒は語っています。「先生が一生懸命教えてくれたから、一生懸命学ぼうと思った。」かけがえのない命を守るために大切なことを本校でも一生懸命伝えます。