2019年6月21日金曜日

運動場が運動場として使える毎日を(令和元年6月21日)


 本日、広島平和記念資料館から「被爆体験伝承者」である 藤本 敏恵 さんに本校へお越しいただきました。そして、6年生児童を対象に、昭和20年8月6日の原子爆弾による被害の様子や家族を失う悲しみ、平和の大切さ等について、お話を聞かせていただきました。

 藤本さんは「被爆者」ではありません。お父さんをはじめご家族が被害に遭われ、「被爆二世」として、原子爆弾のことを通して、戦争の悲惨さや平和の大切さを、広島で、そして、要請があれば全国各地で伝えておられます。6年生は10月21日、22日の修学旅行で、広島市の広島平和記念公園を訪れます。今日の話をもとに、広島でその学びをさらに深めてくれることと思います。

 ところで、藤本さんの今日のお話の中での「戦時中、学校では勉強どころではなかった。」「とにかく食べ物が不足し運動場は畑になり、野菜を作っていた。」という部分を、児童はどうとらえていたのでしょうか。

 自然災害と戦争は全く別のものです。しかし、日常生活が壊れてしまうということでは同じかもしれません。震災の後、運動場に仮設住宅ができたり、運動場にたくさんの自動車が停められている様子をテレビでよく見ました。普通に暮らせる毎日について、何も思わずに生活していることが私も含めて多くあるのではないでしょうか。運動場で走り回れる毎日、ごはんをしっかり食べることができる毎日はかけがえのないものなのだと今日、改めて思いました。