2018年10月17日水曜日

来週、21度目の広島(平成30年10月17日)


 さわやかな秋の空です。空を見上げながら、来週の月曜・火曜の修学旅行のことに思いを巡らせていました。そして、これまで20度訪れた広島のことを思い出していました。小学校2年生の時に両親に連れられて、初めて広島平和記念資料館へ行った時のこと。教員になって修学旅行で同じ場所を訪れた時のこと。親戚の結婚式の時に高層階から見た広島の街。そして、平和記念公園の供養塔の前で佐伯敏子さんと出会った時のこと。

 今から28年前の4月のことです。同僚と修学旅行の下見で早朝から平和記念公園を訪れ、原爆供養塔(この近辺で多数の遺体が荼毘にふされ、引き取り手がない遺骨がこの供養塔の中に納められました)の前で私はメモを取っていました。その時、私に声をかけてくれたのが佐伯敏子さんでした。「私は佐伯敏子といいます。あなたは先生でしょ?大阪の先生ではないですか?」「はい、大阪の摂津市の小学校で教えています。今度、修学旅行で児童を連れてここに来ます。」「私はこの公園はお墓だと思っています。私たちが生活していた街が、原爆によって焼き尽くされてしまいました。当たり前の毎日の生活が一瞬で終わったのです。前を流れる川からも多くの遺体が引き上げられ、また他の場所からも遺体が運ばれてきました。荼毘にふすのが間に合わなくて、遺体を並べてその上に土砂をかけていました。その後遺骨を集め、ここに供養塔が作られ、供養しています。私は、毎朝ここへ来て掃除をし、供養しているのです。」

 初めて出会った私に熱心に話してくれる佐伯さんでした。「先生に地図をあげましょう。ここにあった街の地図です。映画館があそこに、散髪屋さんがこっちに、自分たちが毎日幸せに暮らしていた頃を思い出します。でも、全部失われました。私の母をはじめ、兄弟や親戚も亡くなりました。戦争とは、原子爆弾とはそういうものだと子どもたちにしっかり教えて、修学旅行の時にまたこの公園に来てください。」

 佐伯さんの話をもとに作られた教材もあります。佐伯さんから話しかけられ、私は驚きましたが、緑多くたくさんの人々が集う平和記念公園を訪れる際、事前に学んでくることの大切さを、その時、改めて感じました。佐伯さんは、昨年97歳で亡くなられましたが、私は佐伯さんの思いを少しでも子どもたちに伝えたいと思っています。