2019年12月6日金曜日

皆さんに託したいこと(令和元年12月6日・平和の集いにて)

 皆さん、おはようございます。12月に入りました。テレビなどでは、今年を振り返っての10大ニュースなどの特集が組まれたりしていますが、その中でも平成から令和への改元は大きなニュースの一つとして取り上げられています。平成の前の元号を皆さん知っていますか?そう、昭和ですね。昭和で言うと今年は昭和94年にあたります。

 その昭和の初め、私の家、と言ってももちろん私はまだ生まれていませんし、私の父もまだ生まれたばかりの頃ですが、私の家は香川県高松市の丸亀町というところで、万年筆の製造と販売を行っていました。万年筆って知っていますか?小説家が使っているイメージがありますが、最近ではすっかり使う人が少なくなりましたが、昔は多くの人が使っていました。大きなお店と工場を持っていたのですが、昭和20年7月に空襲ですべて焼けてしまいました。B29というアメリカの爆撃機がたくさん飛んできて、焼夷弾という爆弾をたくさん落とし、高松市は焼け野原になってしまいました。家の後には真っ黒に焦げた金庫が残っているだけだったと父が話してくれたのを覚えています。

 その1か月後に小豆島で働いていた私のおばさん、父の姉さんは、自分の家が空襲で焼けてしまい、家族のことが心配でやっとのことで休みが取れ、船で高松に帰る途中にアメリカの戦闘機の銃撃によって亡くなりました。終戦の一週間前のことでした。

 一昨年亡くなった父はよく、「戦争がなかったら」とか「戦争がなければ」と話していました。もう少し詳しく言うと「戦争がなかったら、自分の家は万年筆のお店を続けていたのではないだろうか。もっと幸せに暮らせていたのではないだろうか。」「戦争がなければ、姉さんは結婚して幸せに暮らしていたのではないだろうか。大好きなバレーボール(当時は9人制のバレーボール)をずっと楽しんでいたのではないだろうか。」と話していたのです。しかし、戦争はあったのです。そして、失われた命も、財産も戻ってくることはありません。大切な大切なものが失われ、悲しい思いをするもの、それが戦争なのです。

 私は今、思っています。私の父が言ったような言葉で「戦争がなかったら」「戦争がなければ」と過去を振り返ることを、皆さんが大人になり、さらにはおじいさんやおばあさんになった時にさせたくありません。これから皆さんが歩んでいく人生に、戦争という辛い足跡を残したくありません。

 世界ではなお戦争や紛争と呼ばれるものが後を絶ちません。つい先日もアフガニスタンで日本の医師が銃撃に遭い、命を失いました。このような世界の中で、皆さんは戦争を起こしてはいけないということをキチンと話してください。そして、何が自分にできるかを考え、行動してください。私は、皆さんの未来のために、父から聞いた話をしっかり語り継いでいきます。