2020年3月31日火曜日

夢の途中♪(令和2年3月31日)

 774回目のブログ更新です。これが最後の更新です。今日で、本校の校長としての任務を終えます。今、このブログのページビュー履歴は、88,860です。夢にも思わなかった数字です。拙い文にもかかわらず、多くの方にアクセスしていただきました。特に学校が臨時休業に入ってからのアクセス数が増えています。学校を閉じている中で、学校への関心が高まり、学校を大切に感じていただいていることが伝わってくるようで、心強かったです。

 私の校長としての最後は残念な日々でした。修了式で、しっかり児童の一人ひとりの顔を目に焼き付け、心の宝にしたかったのですが、唐突な別れとなってしまいました。毎朝の正門での出会いも、本当は3月24日まで続くはずでしたが、2月28日が最後となってしまいました。でも別れというものは、本当は突然来るものかもしれません。だから、どんな時も今を大切に、かけがえのない時間を愛おしく生きなければならないのかもしれません。改めて、そんなことを感じ、考えさせられたこの一か月でした。

 保護者の皆様、校区でお世話になった多くの方々へのお礼もキチンと言えていません。申し訳ございません。学校は地域の宝です。学校施設だけが宝ではなく、「学校文化」や「学校づくり」、「学校を核とした子育て」が宝となるよう努めてきましたが、まだまだ道半ばです。しかし、先ほど市役所から学校へ戻る途中、「この2年間で学校との距離が縮まり、学校のことがわかるようになりました」と地域の方から大変うれしい言葉をいただきました。学校のことがわかると仰っていただけるということは、学校のこれからのことをともに考えていただけているのだと感じています。一歩ではなく、大きな一歩を歩み出せたように思います。

 あこがれの職業、夢の職業が「学校の先生」でした。38年前の4月に初めて給料をいただいた時、「好きなことを毎日して、お金までもらっていいのかなあ」と思いました。両親にプレゼントを買ったり、食事をしたりしました。あの時の気持ちは今も変わりません。教育委員会事務局勤務の頃も含めて、教育に関わらせていただいていることの喜びと幸せを38年間感じさせていただきました。

 38年間、順風満帆だったわけではありません。苦しいこと、悲しいこと、辛いことが公私ともにありました。そんな時に、小学生の頃からの友人が「止まない雨はない」と言ってくれたことをいつも思い出しました。考えてみればその友は、私の「傘」になってくれていました。私は誰かの傘になることができていたかどうかはわかりません。しかし、その友と同じように「止まない雨はない」「明けない夜はない」「命まで取られない」と、人を励ますことはしてきたつもりです。励ましが重荷になってしまったこともあるかもしれません。しかし、傘になる努力を続けてきました。

 続けることは本当に大切です。誰もがゴールへたどり着けるとは限りません。しかし、歩き続けなければゴールは見えません。小さなことでも、続けるよう努めてきました。ついつい人は、「今日はしなくてもいい」とさぼってしまいがちです。私も例外ではありません。しかし、さぼると「今日もしなくてもいい」となってしまうものです。たくさんのことを続けることは無理かもしれません。でも、いくつかのことなら続けられるのではないでしょうか。そして、小さな継続を必ず誰かが見てくれています。さらには、声をかけてくれます。父がよく言ってたことは本当だなあと今になって思います。「人の目を気にするな。でも人が見ていることは忘れるな。」人のことを気にして委縮してはいけませんが、必ず誰かが見てくれていると考え、緊張感と安心感を同居させながら生きることが、人生には必要だと思います。

 それにしてもたくさんの人に見守られながら生きてきました。小学校の時の担任の先生。先生にあこがれて、この仕事に就き、今まで頑張ることができました。私が5年生の時に当時まだ20歳で新任で来られた先生。担任をしていただいたことはありませんが、ずっとずっと見守っていただき、励ましていただきました。高校3年生の時の担任の先生。私が教職をめざしていることを知った時、本当に喜んでくれました。そして大学の時の先生。「学問的には何にも受け継いでくれんかった。」と言われ、もっと勉強しろ!といつも叱られていましたが、「人格的には少しは受け継いでくれたかな?」と言われた時には本当にうれしかったです。「コミュニケーションの天才」と言われる大先生です。あの時の言葉は宝物です。

 学校で出会った多くの校長先生、教育委員会での上司。厳しくも温かい言葉をたくさんいただきました。優しさと厳しさは表裏一体だなあとつくづく思います。自分自身が、職場の上司として、厳しくて温かい存在だったかどうかは、よくわかりません。しかし、常に部下の成長を願っていたことは事実です。私たちは「プロ」です。いつも力量の向上を図らねばなりません。ましてや変化の激しい時代です。どうかこれからも研鑽と修養に励んでください。

 人に恵まれ、人に生かされたこれまでの人生。出会った全ての皆さんに感謝しかありません。この2年間に限っても、いろいろな方に話をする機会をいただきました。校内での、学校協議会、民生委員との懇談会、PTA運営委員会など、学校外では、教育フォーラム、防災サミット、社会を明るくする運動でのミニ集会など本当にたくさんの機会をいただきました。その場でも出会いがさらに大きくなりました。私は幸せ者です。

 少し私的なことが多くなりすみません。子どもたちへのメッセージです。「夢を持ち、挑戦を続けてください。夢がない人生は寂しいです。夢は様々です。いろいろな夢があっていいのです。しかし、叶えるための努力を続けてください。そして、叶った時には多くの人への感謝の気持ちを忘れないでください。」今日で味舌小学校の校長は終わりですが、私もまだまだ「夢の途中」です。「さよならは別れの言葉じゃなくて、再び逢うまでの遠い約束」教育は、学校は、全ての人が幸せになるためにあるものです。その実現のために、微力ではありますが、これからも努力を続けます。2年間、ありがとうございました。そして、さようなら!いつかまた逢いましょう!

2020年3月30日月曜日

ゆっくりもいい!(令和2年3月30日)

 運動場、塩野義製薬側の桜は校舎から遠い木から順番に満開に近づいています。したがって、一番校舎に近いところの木はまだ4分咲きといったところです。

 入学式まであと8日!この桜は1年生のためにゆっくり咲いてくれているのかなあ?と見ていて微笑んでしまいました。ゆっくりでもいいよ!

 教育委員会事務局で勤務していた頃は、市役所の6階にデスクがあり、いつも大正川の堤防に咲く桜を上から見ていました。なぜか毎年、安威川に近い方の桜から順番に満開になっていました。そして、葉が紅くなり、落葉するのも同じ順番でした。

 春だというのに、懐かしい思い出ばかりに浸っています…。

ウルトラマン放送から54年(令和2年3月30日)

 ウルトラマン(初代)の第1回放送は1966年7月17日。すごい番組が始まったと当時小学1年生だった私は思ったものでした。その頃からよくウルトラマンの絵を描いていましたが、最近のウルトラマンは、色や頭の形が派手になり、必殺技も複雑です。

 登場から半世紀以上が経っても子どもから愛されるウルトラマン。戦いばかりがクローズアップされるのではなく、生命の尊重や共存と自立など、様々な問題提起が作品には込められていることに注目して欲しいと思います。

 校長室の予定表に私が描いたウルトラマン。児童より大人の方に好評です。

2020年3月29日日曜日

おとなになったら(令和2年3月29日)

 土日に家にいる時間も長いです。外出自粛もですが、スポーツの試合やイベントが中止されていることも影響しています。国は学校再開についての意見を再度、専門家会議に求めると発表していましたが、今後の動きが気になります。これ以上の休校は厳しいですが、感染者の拡大が収まらない中での不安も大きいです。

 私が小学2年生の時の文集「おとなになったら」が出てきました。小学5年生の時からの夢が「小学校の先生」になることでしたが、この頃は「アナウンサー」になりたかったようです。

 「パイロット」になりたいと記している友は、今はハワイで「カメラマン」をしています。みんなの夢はどうなったのかなあ?この文集をまとめていただいた担任の先生は80代後半を迎えておられますが、たいへんお元気です。今でも時々声をかけていただきます。

2020年3月28日土曜日

名前(令和2年3月28日)

    卒業式を前に、卒業証書を作成するに当たって、6年生児童の名前を何度も見ました。また、この数日は、4月に入学する1年生の名前を何度も見ています。6年生の名前を見ていた時には、それぞれの顔を思い浮かべながら。そして、新1年生の名前を見ながら、今頃どんなふうに入学式を待っているんだろうと思いを巡らせています。

 誰もが自分の名前を持っています。成長への願いを込めて付けられた名前です。以前にもお伝えしたことがあるかもしれませんが、私の名前は父から、高杉晋作(高杉 晋作は、江戸時代後期の長州藩士。幕末に長州藩の尊王攘夷の志士として活躍した。奇兵隊など諸隊を創設し、長州藩を倒幕に方向付けた。)に因んで付けられたものです。「晋作」ではなく「晋策」なのは、真似ではなく自身の道を歩んで欲しかったからだそうです。自分でものごとを考え、真っ直ぐに進んで欲しいとの思いもあったようですが、その願いが叶えられたかどうか、尋ねる前に父は亡くなりました。

 名前、大切です。児童のたくさんの名前を前にして、これからの学校生活が実り多いものとなって欲しいと願ってやみません。


2020年3月27日金曜日

角度を変えると…(令和2年3月27日)

 雨の3月27日です。太陽は顔を見せてくれませんが、気温は20℃近くまで上がっています。工事で学校へ来られた方が「春休みなので学校静かですね〜!」と仰っておられましたが、3月に入ってずっと静かな学校です…。

 北館の多目的室から中庭の様子や、南館越しに見える景色を見てみました。違った角度から見ると見慣れた校舎ではありますが、新鮮に映ります。何でもそうですね!物を考える時も同じ視点からではなく、違う角度から考えると新たなアイディアが浮かんだりするものです。

 管理棟(職員室のある建物)を見ていると味舌東小学校の時代を思い出します。校長室が2階にあり、教育委員会事務局で指導主事などをしていた頃、よく校長室へ伺いました。当時の校長先生のことも思い出しました。

2020年3月26日木曜日

新年度へ向けて準備中!(令和2年3月26日)

 本校校務員が新年度の学校再開へ向けて、壁の汚れている部分の清掃、塗装が剥がれている部分の補修などを行っています。今月に入り、北館から始めた作業は、現在南館へと移っています。

 まだ、大阪府教育庁や摂津市教育委員会から、新年度の学校再開について、入学式及び始業式実施に関することを除いて、具体的指示はありません。しかし、文部科学省が示した学校再開に関するガイドラインに則って準備する必要があると考えています。