2020年1月11日土曜日

心に残る風景(令和2年1月11日)


 昨年12月16日から宇高航路のフェリーの運行が休止されました。宇高航路とは岡山県玉野市の宇野港と香川県高松市の高松港を結ぶ航路のことで、昭和63年4月に瀬戸大橋が開通するまでは国鉄(昭和62年からはJR四国)の宇高連絡船を多くの人が利用していました。

 私もその一人で、父の出身地の高松へ行く時には特急うずしおか急行鷲羽で宇野駅まで、東海道新幹線の岡山までの延伸後は岡山で快速に乗り換えて宇野駅まで行き、連絡船を使っていました。

 宇高航路にはフェリーもあり、以前は夜もフェリーが運行されていましたが、利用客の激減は止まらず、運行休止に至ったのです。

 目を閉じれば、高松港を発着する連絡船やフェリーの姿が浮かびます。父が小さい頃遊んだ高松港は小豆島をはじめ橋で結ばれていない島へ向かうフェリーは残っていますが、以前のような活気はありません。

 父が亡くなりもうすぐ3年。父と訪ねた場所はどんどんその姿を変えていきます。プロ野球の近鉄バファローズファンだった父と行った日生球場、藤井寺球場、さらには大阪球場も西宮球場も今ではありません。

 校長室には旧の味舌小学校を写した航空写真もあります。様々な経緯もあり、街は姿を変え、古いものはなくなり、新しいものが生まれます。父が亡くなってからの短い期間にも、ご近所では建て替えや改修、マンションの自転車置き場の改修など、自宅近辺の景色がずいぶん変わりました。

 生きているのは誰にとっても今です。その瞬間瞬間というものはとても尊いもののように感じます。難しいことですが、心のアルバムにたくさん残しておきたくなります。